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パレスチナ和平の可能性
持田直武 国際ニュース分析

2005年1月10日 持田直武

パレスチナ和平の動きが活発になった。イスラエルがガザ撤退の動きを見せ、一方パレスチナ自治政府も新陣容で交渉に意欲をみせる。英提案の和平支援の国際会議3月開催も決まった。だが、難民の帰還やエルサレムの地位など基本的な対立点で双方の主張に変化はない。交渉が始まっても、成り行きに不満な過激派がテロで妨害するとの不安も消えない。


・イスラエル、ガザ撤退の思惑

 ガザ撤退を含む「パレスチナ分離計画」は04年10月イスラエル議会が紛糾の末承認した。同計画の要点は、ガザのイスラエル入植地21箇所すべてを解体、住民8,200人を引き揚げる。同時にイスラエル軍も基地を解体して引き揚げる。また、ヨルダン川西岸の入植地の一部4箇所を解体、住民を引き揚げるなどだ。実施は05年7月から年末までの間。計画どおり実施できれば、イスラエルが1967年の第三次中東戦争いらい続けていたガザ占領が終わる。

 シャロン首相は12月16日ヘルズリアで開催した政策会議で、この撤退を「パレスチナ自治政府の新指導部と緊密に連携しながら進めたい」と発言。さらに、この撤退計画で「イスラエル・パレスチナ関係に歴史的転換をもたらしたい」との期待を表明した。パレスチナ自治政府は1月9日、議長選挙を実施するが、現状ではアバスPLO議長の当選が確実。同議長は穏健派で、テロとの決別など故アラファト前議長と一線を画す姿勢を示し、和平機運の盛り上がりに一役買っているのは間違いない。

 だが、アバス議長が今後もシャロン首相の期待どおりに動くか、予断のかぎりではない。同首相はガザ撤退を打ち出したものの、そのほかの点では譲歩する気配がまったくないからだ。例えば、同首相は上記ヘルズリアの会議で、次の3項目については「イスラエルの国益に関わる」として断固拒否する方針を示した。

1. 1967年の第三次中東戦争以前の国境線への回帰。
2. パレスチナ難民の帰還。
3. 西岸に建設した人口の多い入植地の引き揚げ。

 これら3項目は、パレスチナだけでなく、アラブ諸国も一致して要求し、多くは国連決議でも支持されている。シャロン首相がこれらの問題で、従来どおりの強硬姿勢を示せば、アバス議長のパレスチナ新指導部も対決姿勢を取らざるをえなくなる。


・パレスチナ側の主張との差も大きく

 このイスラエル側の動きに対し、アバス議長は次のような方針を1月9日投票の自治政府議長選の運動の中で表明した。

1. 武装闘争を抵抗の手段としない。
2. パレスチナ国家はガザ、西岸で構成、東エルサレムを首都とする。
3. パレスチナ難民の帰還問題を国連決議194に基づいて解決する。

 また、自治政府の閣僚、議員、知識人などパレスチナの要人600人も12月26日、ほぼ同じ内容の方針を公開書簡にして新聞に発表、近く発足する自治政府新指導部に対してパレスチナ側の交渉指針とするよう要求した。上記項目は、1の武装闘争を除けば、アラファト前議長が掲げていた方針を踏襲するもので、パレスチナ自治政府側の現在のコンセンサスと言ってよい。しかし、これらはシャロン首相の方針とは真っ向から対立することも明らかなのだ。

 例えば、2の要求を実現するためには、イスラエルが第三次中東戦争で占領した東エルサレムから撤退し、同戦争以前の国境線に回帰することを意味する。回帰は同戦争後の国連安保理決議242で決められているが、シャロン首相は上記のように回帰を拒否している。これは同首相だけでなく、イスラエルの歴代政権の立場だ。実は、安保理決議は戦争以前の国境線への回帰とともに、周辺のアラブ諸国に対してイスラエルを国家として認めるよう求めているが、アラブ諸国はエジプトとヨルダンを除き、それに応えていない。イスラエルは国境線への回帰を拒否する理由にこれをあげている。

 また、3のパレスチナ難民の帰還についても、問題は単純ではない。難民はイスラエル建国とその後4次の戦争によって、100万とも200万ともいわれる多数が発生したという。パレスチナ側はイスラエル建国直後の国連総会決議194に基づいて、これら難民の「帰還の権利」を認めるよう要求している。しかし、シャロン首相は上記ヘルズリア会議でもこれを拒否した。イスラエル側は、帰還の権利より補償などが妥当と次のように説明する。「48年の国連総会決議194は『帰還の権利』を認めたが、その後67年の安保理決議242は『難民問題の公平な解決』と文言を改めた。『帰還の権利』よりも補償などで解決する方が現実的なことを示したものだ」


・米欧アラブの援助国が和平支援に巨額の援助を予定

 イスラエル・パレスチナ双方の立場がこれで折り合うのか疑問はあるが、国際社会の期待は大きい。米ブッシュ大統領と英ブレア首相は11月12日、ホワイトハウスで会談したあと共同声明を発表、ガザ撤退計画を支持するとともに「パレスチナ人が政治、経済、治安の各面で国家にふさわしい組織を持つのを支援する。このため各国にも支援を呼びかける」と述べた。そして、ブレア首相は12月22日、イスラエルのシャロン首相、パレスチナでアバス議長と相次いで会談、3月ロンドンでパレスチナ支援国際会議を開催する手筈を整えた。

 一方、米・欧・アラブ各国のパレスチナ援助国会議も12月8日、オスロで会議を開いて、暴力の抑制などを条件に援助の増額を表明。ニューヨーク・タイムズによれば、その額が今後4年間に総額60億ドルから80億ドルという巨額に上るという。パレスチナは現在年間約10億ドルの援助を各国から受けているが、これが倍増する可能性があるのだ。ただし、増額は、パレスチナが公正な選挙を実施すること、自治政府新指導部が過激派を押さえ込むこと、イスラエルが自治区との境界に建設した塀の一部を撤去、または通路を作り、物資の流通を容易にすることなどの条件が付いている。

 ガザと西岸などに住むパレスチナ人は約340万人。現在でも1人あたり年間300ドルに近い援助を受ける計算になり、世界でもっとも多額の援助受給者だという。しかし、この援助が実際にパレスチナ住民に届いたとは誰も考えていない。上記パレスチナ要人600人は公開書簡の中で、自治政府新指導部に対して、法の支配を確立し、汚職をきびしく取り締まるよう要求している。アラファト時代には、財政管理が杜撰で、援助が一部幹部の私腹を肥やしたなどの批判が絶えなかった。パレスチナが国際支援を受けて国造りを進めるには、この要求に答えることがまず必要となる。


・シャロン、アバス両首脳の揺らぐ足元

 和平への期待は高まったが、軌道に乗るかどうかは、シャロン、アバス両首脳が拠って立つ権力基盤次第である。シャロン首相もその点万全とは言えない。同首相のガザ撤退法案は議会法務委員会で12月28日、7対7の賛否同数で棚上げされた。同法案は入植者への補償金を含み、議会が可決しないと撤退計画は進まない。同委員会は再度採決をするが、それは数ヵ月後。撤退に不満な強硬派は連立政権から去り、同首相のリクードは小数与党となった。強硬派の旗頭を自認するシャロン首相だが、今は穏健派ペレス氏の労働党と連立せざるを得なくなった。

 アバス議長の姿勢にも不安が付きまとう。同議長は12月30日、ジェニンの難民キャンプで過激派アクサ殉教旅団のリーダー、ズベイディ氏を抱擁。その4日後、過激派がイスラエル軍をロケット攻撃すると、「パレスチナの大義に反する」と今度は過激派を批判。過激派から「正当な抵抗運動の背中に刃を突き立てた」と非難された。シャロン首相は1月2日、ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、サファイアー氏と自宅で会見し、「アバス議長がテロを抑え、イスラエルのガザ撤退の安全を確保することを期待する」と述べたが、同議長がそれに答えられか疑問が多いのだ。

 パレスチナでテロを展開する過激派は、イスラエルの見方では、アクサ殉教旅団、ハマス、イスラム聖戦など十指を超える。いずれもイスラエルを認めず、パレスチナ暫定自治を決めたオスロ合意も認めない。テロについても、正当な対抗手段と主張し、アバス議長の「テロ放棄宣言」に背を向けている。アバス議長は、過激派各派を統合し、将来パレスチナ国家の軍隊として指揮系統を確立する考えといわれるが、現状はテロを抑えられないことも明白。今後、イスラエルとの交渉の過程で、テロが起きるおそれは消えず、それが交渉をご破算にする可能性も十分ある。


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