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イラン核開発とイスラエルの核
持田直武 国際ニュース分析

2006年5月15日 持田直武

リビアが核兵器開発を廃棄し、イラクには核開発の計画もないと分かった今、中東に残った核問題は、イスラエルの隠れた核兵器とイランの核開発である。しかも、イランの狙いの1つはイスラエルの核に対抗することにある。従って、米欧がイランだけに核放棄を求めても、イランは応じない。中東非核化構想のような、中東全域から核兵器を廃棄する将来構想が必要になる。


・米も共謀したイスラエルの核隠し

 米国がイスラエルの核兵器保有を知ったのは、ジョンソン政権最後の年1968年秋だった。それまでは、核開発の疑いはあったが、兵器化には時間がかかるという見方が強かった。イスラエルも「中東に最初に核兵器を導入しない」と宣言していた。ワシントン・ポスト(06.4.30)によれば、そんな時、当時のイスラエルのラビン駐米大使(その後首相)がウオーンキ国防次官補を訪問し、「保有した」ことを暗に認めたという。この年7月から、NPT(核拡散防止条約)の調印が始まっていた。イスラエルが調印すれば、核兵器を放棄しなければならない。

 翌69年、ニクソン政権が発足すると、レアード国防長官は「イスラエルの核保有は米の国益に反する。可能なら中止させるべきだ」と主張。キッシンジャー大統領補佐官が各省の次官級を招集して、「F-4ファントム戦闘機供与の再検討」などの圧力をかける対応策をまとめた。しかし、ニクソン大統領は兵器供与を政治的に使うことに反対。結局、圧力策を断念。国務省が、核保有やNPT調印について、イスラエル政府の見解を求めることになった。

 そして同年9月26日、ニクソン大統領とゴルダメイア首相が会談、現在まで続くイスラエルの核隠しの合意が成立する。会談の記録は保管されているが、内容は厳重な秘密扱い。だが、その後の両国の動きから見て、イスラエルが「核実験をしない、核保有宣言もしない」などの条件を守れば、米は「核の存在に目をつむる」約束だったようだ。ラビン大使は翌年2月23日、キッシンジャー補佐官と会談、「ニクソン・メイア会談の内容にかんがみ、イスラエルはNPTに調印しない」というニクソン大統領宛の伝言を託したという。


・イランの核は米イスラエルに対決する武器

 イスラエルが核開発に乗り出したのは1956年、第2次中東戦争後だった。同戦争で共に戦ったフランスが原子炉の建設に協力、イギリスも重水はじめ関連資材を密かに提供した。そして66年、プルトニウムの抽出に成功する。上記のワシントン・ポストは、推測だと断りながら、ゴルダメイア首相はニクソン大統領との会談で、「核兵器はホロコーストの悪夢から逃れられない国民に国家存続の希望を与える心の拠り所」と述べたと書いている。

 イランもイスラエルと同じ50年代後半、パーレビ政権下で核開発に乗り出した。当初は、平和利用を標榜、68年NPTが締結されると直ちに調印した。74年には、エジプトと共同で中東非核化構想を国連総会に提案したが、これはイスラエルの核兵器開発を牽制するねらいもあった。そして79年、親米的なパーレビ政権が倒れ、反米強硬派のホメイニ政権が登場すると、イランの核開発は米とイスラエルに対決する政治的武器の色彩を強く帯びてくる。

 現在も、イスラエルは核兵器保有を否定している。しかし、「ラムズフェルドの戦争」の著者スカーボロー氏が04年、同書の中で米国防総省情報機関の推定として挙げた数は82個。一般的には、100−200個と言われる。一方、イランは、核開発は平和利用が目的と一貫して主張。最高指導者ハメネイ師は05年8月9日のファトワ(教令)で「製造、貯蔵、使用を禁止する」と命じた。しかし、米は信用せず、国家情報局のネグロポンテ長官は4月25日付けタイム誌で「イランは2010年から15年の間に核兵器を持つ」と予測した。


・米・イランの直接交渉が必要

 イランに疑いの目が向くのには、理由がある。NPT加盟国は、核活動をすべてIAEAに申告し、査察を受ける義務がある。しかし、イランはナタンズに建設したウラン濃縮施設を申告しなかった。亡命中の反体制派が02年、これを告発、IAEAが査察に入った。査察はそれから3年余り続くが、イランは十分協力したとは言えない。IAEAは4月28日の報告で、「イランは高濃縮ウランの加工手順を示す資料を提出しないなど、査察に協力していない。秘密の核開発がないとは言えない」と非難した。

 英仏が5月3日提出した安保理決議案はこのIAEA報告を踏まえ、イランがウラン濃縮を中止しなければ、国連憲章7章に基づいて制裁を検討するという内容だ。米は支持しているが、中ロが強く反対。妥協案として、イランの濃縮中止の見返りに経済援助を提案、交渉することになった。制裁に進めば、イランは反発し、イスラエルへの攻撃やペルシャ湾石油ルートの妨害もしかねない。そうなれば、石油価格が高騰し、世界経済に大きな影響を与える。当面、妥協案で緊張は和らいだが、イランが交渉でこの案を受け入れなければ、危機が再来する。

 こうした中、危機回避を模索する動きも活発になった。1つは、米とイランの直接交渉を促す動きである。イランは米・イスラエルとの対決を意識して核開発を進めているが、これまでの交渉は、英仏独3国、あるいはロシアが相手。いわば、代理人との交渉で、双方に不満があった。米・イランの直接交渉は、国連のアナン事務総長が5月4日と12日の2回にわたって提案したほか、ドイツのメルケル首相や米議会上院のルーガー外交委員長など、共和党内からも要求が出ている。今のところ、ブッシュ大統領は「イランの核問題は米との2国間問題ではない」との理由で拒否している。しかし、いずれ交渉しなければならないだろう。


・イスラエルの核を含めた非核化構想も

 もう1つ注目しなければならないのは、イランの核開発とともにイスラエルの核兵器も対象に解決策を探る動きである。IAEAは2月4日の決議で、イランの核問題を国連安保理に付託したが、その中に「イラン核開発問題の解決が世界および中東の非核化とその運搬手段の禁止に貢献すると認め、・・・」という項目を入れた。中東非核化構想を推進しているエジプトなどアラブ諸国が強く要求した結果だった。イランも74年、エジプトと共同で中東非核化構想を国連総会に提案して以来、同構想を支持している。問題は、イスラエルの対応である。

 IAEAのエルバラダイ事務局長は04年7月8日、イスラエルを訪問して当時のシャロン首相と会談、中東非核化構想について協議した。会談のあと、同事務局長は記者会見し、シャロン首相が「中東和平との関連の中で、非核化地帯の設立を目指す」という立場を示したことを明らかにした。パレスチナ和平と並行して、核問題を解決するという立場の確認だった。IAEAは同年9月24日、「中東に非核地帯の設置を呼びかける決議」を全会一致で可決する。イスラエルの名前を挙げなかったが、中東のすべての国がIAEAの査察を受け入れるとの項目も加えた。

 上記のワシントン・ポストは、中東非核構想を実現するには、ニクソン・ゴルダメイア合意は障害になると主張。米イスラエルは同合意を廃止し、核の新しい位置づけをするべきだと論じている。合意が効力を持つ間は、イスラエルはNPTに加盟しないことになり、事態は正常化しないというのだ。確かに、世界のエネルギー供給の中心となっている中東で、隠れ核兵器や核兵器開発疑惑の存在は好ましいことではない。中東非核化もパレスチナ和平も簡単に達成できるものではないが、目標であることは間違いない。その目標に向かって進むには、核を隠す合意は障害になる。


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