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米大統領選 ヒラリー・クリントンの挑戦続く
持田直武 国際ニュース分析

2008年6月15日 持田直武

ヒラリー・クリントンと夫ビルは第二次大戦直後に生まれたベビー・ブーマー世代、その中の勝ち組である。2人ともハイスクール時代から政治体験を重ね、大統領の座を夢見ていた。ビルは野心を達成したが、ヒラリーは今回頓挫した。だが、諦めたわけではない。


・学生時代から女性大統領の呼び声

 ヒラリーは1947年10月、シカゴで生まれる。父ヒュー・ローダムは自営の繊維製品卸売業、母ドロシーは専業主婦だった。ヒラリーが3歳の時、一家はシカゴ郊外のパーク・リッジの町に移住。彼女はここで高校卒業まで過ごした。保守的な中西部の典型的な町で周囲には熱心な共和党員が多かった。父親はヒラリーが生まれた年、シカゴ市会議員選挙に無所属で立候補して落選。立候補はこの1回だけだったが、その後は熱心な共和党員として晩年まで活動した。

 こんな父に対し、母ドロシーは民主党支持だったが、性差別反対では一致。母はかねがねヒラリーに対し「女だからと言って、出来ないことは何もないのよ」と言い聞かせていたという。ヒラリーは小学校では、先生の「お気に入り」。中学・高校では、全国優等生会議(National Honor Society )に推薦された「優等生」。その一方で、父親にならって共和党の活動にも参加。64年の大統領選挙では、共和党候補ゴールドウオーター上院議員の選挙運動にゴールドウオーター・ガールとして加わった。

 そして、大学は東部の名門ウエレズリー大に進学、同時に学内の共和党支部会長に就任した。学外でも、同党の大立者ロックフェラー・ニューヨーク州知事(後の副大統領)の選挙運動などに参加、政界との関係を深めた。卒業式では、卒業生として初めて記念のスピーチをし、雑誌ライフも大きく取り上げた。ボストン・グローブ紙のケニー記者は93年1月12日の紙面で「同級生の多くは、彼女が米国最初の女性大統領になるだろうと考えた」と書いた。本人もそう考えたとしても不思議ではない。


・民主党に鞍替え、ビルと野心を共有

クリントン伝記「クラスで一番」  ウエレズリー大卒業後の69年、ヒラリーはエール大学法科大学院に進学。ビルと会い、彼も大統領をねらっていることを知るのだ。それから5年後、ヒラリーは弁護士としてウオーターゲート事件の民主党側調査官に就任、ニクソン大統領を追及する立場に立った。共和党支持をやめ、民主党に鞍替えした。ビル・クリントンの伝記「クラスで一番」(First in His Class: The Biography of Bill Clinton)を書いたワシントン・ポストのデビッド・モラニス記者によれば、ヒラリーはこの頃、ビルの大統領への野心を明言して憚らなかったという。

 それを聞いた1人が、ウオーターゲート事件調査で、彼女の先輩調査官だったバーナード・ナッスバウム(後にクリントン政権の法律顧問)だ。ある日、ヒラリーは熱のこもった声で「ビルは大統領になる」と語った。ナッスバウムが「そんな馬鹿な。おかしな話をするな」と言うと、彼女は不満を露わにし「あなたは彼を知らないが、私は知っている。彼は大統領になる。馬鹿ななどと言っていると、あとで間違いを認めざるを得なくなる」と言って、ドアーをバタンと閉めて出て行ったという。

 ビルは92年選挙で共和党の現職ブッシュ(父)を破って望みを達成。ヒラリーは今回オバマ候補に僅差で敗れたが、望みを捨てたわけではないのは明らかだった。7日の撤退演説で、彼女は次のように述べて、再挑戦を示唆した。

「行く手を阻むガラスの天井を今回は破れなかった。しかし、支持してくれた1,800万人分のヒビを入れることが出来た。次はもっと容易に通れると期待できる」

「ガラスの天井」とは、女性の進出を阻む目に見えない社会の壁を指している。大統領の座はこの天井の中でも、もっとも高く、しかも堅固に守られている。今回、ヒラリーはこの壁を破れなかったが、次は破るという意思表示だった。また、彼女はこの演説で信念をまげず、目標に向かって進もうと次のように呼びかけた。

「今回、私は目標直前で頓挫した。このことが、皆さんの目標達成への意欲を削ぐとすれば、心が痛む。つまずいたとしても、信念をまげるのはやめよう。打ちのめされても、すぐ立ち上がろう。周りの者が、お前には無理だ、出来ないなどと言っても、耳を傾けないようにしよう」

支持者への呼びかけだが、同時に「自分も信念をまげない」との決意表明である。


・大統領への今後の道のり

 ヒラリーが今後も大統領の座を目指すには、次のような幾つかの選択肢がある。

1、4年後の次回大統領選挙に再挑戦する。
この場合、オバマ候補が11月の本選挙で共和党マケイン候補に負けることが条件になる。オバマ候補がヒラリーと正副大統領のチケットを組んでも、組まなくてもこれは同じである。

2、8年後の大統領選挙に再挑戦する。
オバマ候補が11月の本選挙で勝てば、4年後に再選をねらうことは確実。ヒラリーとしてはオバマ大統領の任期が終わる8年後まで待たなければならない。

 ヒラリーが再挑戦するにあたって最も好ましいのは4年後だ。だが、それにはオバマ候補が11月の本選挙で負けることが条件。ヒラリー支持者の中には、それを期待する向きが多い。3日発表のCNNの調査では、ヒラリー支持者のうち「本選挙でオバマに投票する」と答えたのは60%。「共和党のマケイン候補に投票する」が17%、「どちらにも投票せず棄権する」が22%。つまり、39%がオバマ候補に投票せず、落選を期待していることになる。

 オバマ候補はこのヒラリー支持票を取り込むため、彼女を副大統領候補に指名する可能性もある。6日発表のCNNの調査では、民主党員の54%がこれを支持しているという。オバマ・ヒラリー両者の支持票がまとまれば11月の本選挙で当選する可能性が高まる。だが、その結果、ヒラリーの大統領への挑戦は8年後になるのはほぼ確実。年齢的にもハンディが増える。それを考えると、副大統領候補への指名が良いか、悪いか、ヒラリーも彼女の支持者も複雑な心境に違いない。


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