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イスラム圏反米デモの背景
持田直武 国際ニュース分析

2012年9月23日 持田直武

イスラム教を冒涜するビデオが反米デモの嵐を巻き起こした。ビデオは米国在住のキリスト教系コプト教のエジプト人グループが制作。イスラム教の預言者を誹謗し、イスラム教信者を挑発する内容だった。エジプトの多数派イスラム教徒と少数派のコプト教徒の対立が背景にあるが、デモが標的にしたのは米政府だった。


・エジプトの宗教紛争が米に飛び火

 問題のビデオはエジプト人で米国在住のキリスト教系コプト教徒のグループが制作した。インターネット百科事典ウィキペディアによれば、リーダーはカリフォルニア在住のエジプト人、ナクラ・バセリ・ナクラ(55)。昨年エジプトに住む妻の家族から5万―6万ドルの資金援助を受けて「砂漠の戦士、ビン・ラディンの無実」という映画を制作した。ナクラがシナリオを書き、男女の俳優を雇って12日余りで完成させた。スタジオはナクラの自宅を改造した。しかし、劇場公開はハリウッドの賃貸劇場で僅か1回だけだった。9・11テロ事件の首謀者の名前をつけた映画にもかかわらず観客は10人足らずだったという。

 次にこの映画の名前が登場するのは動画投稿サイト、ユーチューブである。今年7月サム・バシルと名乗る人物がこの映画の「予告編」と銘打つ14分のビデオ映像をユーチューブに投稿した。映画の題名も「ムハンマドの真の生涯」と変わっていたが、このビデオはほとんど注目されなかった。だが、9月初めにモーリス・サデックと名乗る人物がユーチューブに投稿した新しいビデオは内容がこれまでとは完全に違っていた。ビデオの映像は14分の予告編と同じだったが、ナレーションは英語ではなく、アラビア語に変わった。それもカイロ周辺で話されるアラビア語のエジプト方言だった。そして、ナレーションの内容もイスラム教の預言者ムハンマドを冒涜し、中傷する強烈な内容に差し替えられていた。


・大規模反米デモがイスラム圏を席捲

 ユーチューブがこの新しいビデオを流すと大きな反響が起きる。カイロのイスラム教系テレビ局が9月8日ビデオの一部を放送したことも反響拡大に貢献した。デモはその翌日の9日からエジプトとリビアで始まる。だが、デモ隊が襲撃したのはコプト教の教会ではなく、米大使館だった。コプト教徒が制作した反イスラムのビデオが反米デモの引き金になった。デモ開始から2日後の9・11テロ事件11周年には、リビアのベンガジで反米デモの最中、米国領事館が武装グループの襲撃を受け、スチーブンス米大使が殺害される事件も起きた。反米デモはその後も西はモロッコから東はバングラデシュやインドネシアまでイスラム圏のほぼ全域に波及し一部は暴徒化した。

 反米デモがこのようにイスラム圏全域を巻き込んだ例はこれまでなかった。しかも、発端はエジプトのコプト教徒グループがイスラム教を侮辱する映画やビデオを作ったことである。背景にはエジプトの多数派であるイスラム教と少数派のコプト教徒の対立があるが、米政府はそれに責任はない。それが大規模な反米デモに一気に拡大したのは、イスラム諸国の間に反米感情が予想以上に広まり、僅かな火種で発火する状態になっていたことを示しいている。アラブの春でオバマ政権に賭けた期待が今や消え去り、代わって不満が蓄積されていたとみられるのだ。


・オバマ大統領の約束不履行に失望

 オバマ大統領が09年1月に就任した時、イスラム諸国の期待は高かった。ピュー世論調査所がエジプトなどイスラム諸国5カ国を調査した結果によれば、46%は「同大統領は中東和平で前任の歴代大統領より公平な立場を取る」と考えていた。同大統領も就任して半年後の09年6月カイロを訪問して「新しい出発」と題する演説をした。同大統領はその中で「イスラム教徒に敬意を持って接する」、「イスラム圏に於ける米国の役割を見直す」、「パレスチナ和平の公平な仲介者に徹する」などと約束した。

 しかし、これらの約束は守られていないというのがイスラム圏の答えである。ピュー世論調査所の今年6月の調査によれば、オバマ大統領が「パレスチナ和平で公平な仲介者に徹している」と考えるのは就任直後の46%から18%に激減した。オバマ大統領も米の歴代大統領と同様イスラエルを重視し、パレスチナを軽視しているとみているのだ。このほか、米軍が無人偵察機ドローンでテロリストを殺害している問題でも各国が反対し、中でもエジプトでは89%が反対している。


・イスラム教冒涜のビデオ問題でも溝が深まる

 今回のビデオの問題でもオバマ政権とエジプト政府の溝が深まっている。エジプト政府は18日問題の映画やビデオを制作したナクラ・バセリ・ナクラなどコプト教徒のグループ7人に逮捕状を出した。罪状は「イスラム教の預言者を冒涜する映画やビデオを制作して宗派間の対立を扇動した」という内容である。7人は全員エジプト人だが、いずれも米国籍を持って米国に滞在中で帰国しなければ逮捕されない。エジプトはいずれ米国にグループの引渡しを求めるとみられるが、オバマ政権が引渡しに応じないのは明白だ。

 米国は建国以来の理念として信教の自由と表現の自由を掲げている。今回のビデオ問題でも、イスラム教の預言者を冒涜した内容には強く反対するが、法律違反として訴追することはない。冒涜するビデオを公開することも、表現の自由として容認する。逮捕状を出したエジプト政府は米側のこのような措置に不満なのは確かだ。しかも、米国はエジプトが逮捕状を出した7人を政府の保護下に置いていることも隠さない。AP通信によれば、連邦保安局は14日リーダーのナクラ・バセリ・ナクラを政府の保護下に置いたとみられるほか、17日早朝には家族全員をナクラ氏と合流させた。身の危険を避けるためという説明だが、イスラム圏は反発するに違いない。


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