アメリカ三面記事便り
日本で地震に備えて持っていたランタン型懐中電灯が大活躍

本当に今年はこれ1回だけ? ブラックアウト2003

停電で電気がふっと消え、隣のビルも、通りの交差点の信号も電気が消えているのを見た時はとても不思議な感じがした。まるで音までもが止まってしまい、街が静まり返ったようだった。
私が持っている携帯(アメリカ最大手のATT)はすぐダメになったが、他のキャリアの携帯電話で話している人たちから、「コネチカットも停電なんだって」「ワシントンは大丈夫みたいよ」と教えてもらった。まさかオハイオからカナダまで停電しているとは、その時は思わなかったけれど。

遠方から来ている人たちは地域ごとに集まって、家族や同僚の車に分乗して帰ろうと相談を始めている。ラジオを持ち出して臨時ニュースを聞いている人もいる。停電になった時点で誰もがすっぱり仕事を止め、帰り支度を始めたのには驚いた。「あとどれくらいで回復するのか」「何が原因なのか」。そんな情報が全くない中で、「どうせ長くかかるよ」とバーに行こうと誘い合っている人もいる。「テロかなあ」と、私がわざと聞いても「そんな事、わからないよ」と考えるだけ無駄だと言わんばかり。不安がって怯える人は、私の周りにはいなかった。

歩道も車道も無く、とにかく歩け歩け

外に出ると、信号が消えた道に人と車があふれていた。わりと秩序があって、交差点に車が溜まると、誰かが人を制して車に道を空けたりしている。クーラーが消え、窓が開け放たれたカフェやバーも人でいっぱい。汗をかいたボトルからビールを飲んで、みんな汗をかいて笑っている。溶けかかったアイスクリームを無料で配っている店もあった。

アパートに帰ると一階のロビーに「部屋でパーティーやってるからXX号室においでよ!」なんていう手書きの張り紙があった。もちろん知らない人だ。すれ違いながら「電池やろうそくを買っておいた方がいいよ」と教えてくれる人もいた。
私の部屋は18階にあるので、そこまで上がるのはちょっとしたエクササイズだった。階段でへたり込んでいると、後から来た人が「もうちょっとだよ、がんばれ」と声をかける。ついでに「部屋の電話は通じてる?」「そのうちきっと水も出なくなるよ」と情報交換する。

部屋に上がって水や懐中電灯の確認をし、足りない分を買いにまた外に出ることになった。日頃から余裕を持って準備しておくべきだったと、後悔してももう遅い。店は早々に閉店してしまった所も多く、ラジオ用の電池を探して歩き回ったが結局手に入らなかった。
アイスクリームはすぐにドロドロ

日没があんなに切なかった事は無い。日が沈むとあとは真っ暗で、音楽も聞けず、本も読めない。ついに水が出なくなり、トイレが流せなくなった。
この頃から、日本の人たちから電話がかかるようになった。朝起きてニュースを見たら、北米一帯が停電になり、暴動や略奪が起こるかも知れないと報道されていると驚いている。しかし、私の向かいのアパートの屋上では、ドラム缶に火を燃やしてバーベキューをしている。隣の部屋には人が集まっているらしく、笑い声や嬌声が聞こえる。この明るい雰囲気を伝えると、拍子抜けしたようだった。

コンピューターシステムの不備が原因らしいとか、普及は明日の朝以降になるといった情報も、全部日本からの電話で教えてもらった。翌日になるとなぜか固定電話もつながらなくなり、これには孤独感がつのった。幸い2日目の夕方に電気は回復した。停電も一晩なら楽しめるけど、水無しトイレと風呂無し二晩目はさすがに勘弁して欲しかったので嬉しかった。

ブラックアウトTシャツ、お土産にどうぞ

原因は今もってはっきりせず、また起こらないという保障は無く、ブラックアウト2003なんて言い切ってしまっていいのかと思う。電気が戻ればまた生活も元通り。「朝まで飲んでその後3時間かけて歩いて帰ったのー」なんて笑い話には花が咲くけど、相変わらずクーラーは冷えすぎるほどかかり、夜のマンハッタンのネオンは再び強烈に輝いている。

written by 篠田なぎさ(⇒ プロフィール



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