メインページへ戻る

米制定の北朝鮮人権法をめぐる確執
持田直武 国際ニュース分析

2004年11月1日 持田直武

米議会が北朝鮮人権法を可決、ブッシュ大統領も署名した。北朝鮮国内の人権状況の改善要求、日本人拉致問題の完全解決の要求もあるが、焦点は脱北者を支援する組織への2,000万ドルという巨額な財政支出。難民の流出で東欧共産圏が崩壊した先例を念頭に置いた立法でもある。北朝鮮は「抑止力強化で対抗する」と反発。一方、中国は脱北者支援組織を「蛇頭」と決め付けて取り締まりを強化。韓国政府内にも北朝鮮との対立を煽り、核問題の解決に影響するとの懸念が出ている。


・共和党強硬派の強い姿勢を盛り込む

 北朝鮮人権法案は03年11月、共和党強硬派のブラウンバック上院外交委員会アジア太平洋小委員会委員長が中心になって提案。提案時のタイトルは「北朝鮮自由化法案」だった。法案作成の過程には、在米の北朝鮮人権活動家も参加した。同委員長は提案に先立って「北朝鮮は崩壊しつつあり、自由諸国は崩れる同国を支えるようなことをしてはならない」と述べ、東欧共産圏が難民の流出で崩壊した先例を念頭に置いていることを示唆した。民主党内からは、名称が刺激的などの意見が出たため「北朝鮮人権法」と変えたが、主旨は変わっていない。主な項目は次のようになる。

・米国は、北朝鮮が人権問題に関して、以下の各項目で実質的な進展をしたと確認できるまで人道支援以外のあらゆる援助をしてはならない。
1、 信教の自由を含む基本的人権の尊重
2、 北朝鮮国民が在米の親戚と自由に交流
3、 日本人と韓国人の拉致問題の完全な情報公開と拉致被害者の帰国
4、 北朝鮮国内の刑務所、強制労働キャンプの改革と国際監視制度の導入
5、 言論と政治活動の自由

・ これらの目標達成のために活動する個人、または組織に対して今後4年間にわたって毎年200万ドルの支援をする。

・ また、北朝鮮政府の許可なく海外に移動した北朝鮮国民(脱北者)を支援する個人、または組織に対して、今後4年間に毎年2,000万ドルの支援を行なう。


・北朝鮮は「抑止力を強化して対抗」と反発

 北朝鮮外務省報道官は、米議会がこの法案を可決した10月4日声明を発表し、「米国はわれわれの制度を転覆するため本格的な環境造成に没頭している。尊厳に満ちたわれわれ式の思想と制度を全面的に否定し、米国式の価値観と生活方式を強要しようとするブッシュ政権に対しては唯一、力でもって対応すべきであり、そのための抑止力強化に拍車をかけるしかない」と強調。北朝鮮のかねてからの主張である抑止力強化、つまり核兵器開発を正当化する論理をあらためて展開した。

 また、北朝鮮は10月26日、朴吉淵国連大使がアナン事務総長に書簡を送り、日本が主催して26日から実施した相模湾沖のPSI(大量破壊兵器拡散防止構想)の海上訓練を「北朝鮮に対する先制攻撃を準備する危険な動きであり、国連憲章と国際法に違反する」と抗議し、「速やかな措置」をとるよう要求した。北朝鮮は上記4日の声明で、米制定の人権法を「われわれの制度を転覆するための環境造成」と非難したが、日本主催のPSIもこの環境造成の1つと受け取っていることが窺える。

 PSIには、日米のほか、オーストラリア、フランスなど15カ国が参加し、ロシアも今回の訓練にオブザーバーを派遣した。訓練は今回が12回目、拡散防止の主要な対象国が北朝鮮であることは公然の秘密である。このため、中国と韓国は日米の呼びかけにもかかわらずPSIそのものにまだ参加していない。北朝鮮を刺激し、核問題を話し合う6カ国協議に悪影響が出るとの理由からだ。この中国と韓国の北朝鮮の立場に配慮する姿勢は米の北朝鮮人権法に対してもあらわれている。


・中国は脱北支援組織を「蛇頭」として取り締まり強化

 中国外務省の章啓月報道副局長は10月28日の記者会見で、脱北者の外国公館や外国人学校への集団駆け込みを斡旋する組織やグループを「蛇頭」と呼び、今後取り締まりを強化すると述べた。蛇頭は密入国を斡旋する犯罪組織の名称であり、章啓月副局長の発言は中国政府が脱北者の支援組織も犯罪組織と同じに扱うという強い姿勢をあらたに打ち出したことを示している。米国が北朝鮮人権法で脱北者の支援組織や個人に対して資金援助をするとの姿勢を打ち出したのとは真っ向から対立することになる。

 この章啓月副局長の発言に先立って、中国警察は26日北京市内のアパートを急襲し、隠れていた脱北者62人と支援組織の韓国人2人を逮捕した。また、その後も別の場所に隠れていた脱北者10人と支援組織の韓国人1人を逮捕したという。章啓月副局長は28日の記者会見で、この脱北者たちの扱いについて「人道主義的精神と国際法、国内法に基づいて適切に処理する」と述べ、脱北者については人道主義的な措置を取る可能性を示唆した。しかし、支援組織の韓国人に対しては、「蜜出入国を支援した疑いが明らかになれば処罰する」との強い立場を示した。

 一方、朝鮮日報によれば、韓国政府関係者も10月27日、脱北者を支援するNGO組織に対して、支援活動の自制を呼びかけた。同関係者は「中国はまだ社会主義体制なのに、NGOが北京に60人余りもの脱北者を集め、公館への駆け込みを計画するなど、中国当局を軽視した行為であり、NGOは最近大胆になりすぎている」と批判した。韓国政府はこれまで、中国が脱北者を逮捕して北朝鮮に強制送還することに抗議してきた。これに対し、中国は韓国のNGOが脱北者の支援活動に関連して中国の法律に違反していると反論していた。最近の脱北者の増加で、この両者がともに脱北者の抑制の方向で立場を接近させているのだ。


・今後の朝鮮半島情勢に大きな一石を投じる

 韓国の国家情報院は10月26日、今後3年以内に韓国に入国する脱北者が1万人を突破するとの予測を発表した。それによれば、今年6月までに入国した脱北者が4,080人、年間2,000人のペースで増加し、今後さらに加速して今後3年間で1万人を越えるだろうという。現在、中国に脱出して行き場のないまま彷徨っている脱北者が、国連の推計でも10万人をくだらないという。韓国に1万人が入国できたとしても、まだ韓国行きを待つ予備軍がその10倍近くいることになる。韓国統一院の調査では、脱北者の10.7%が中国で何らかの罪を犯しているという。

 米制定の人権法は、これら窮地の脱北者に救いの手を差しのべようとする点では、韓国も歓迎している。しかし、同法の資金援助を受けた支援組織が活動を強化し、北朝鮮からの脱北がさらに増えることなれば、その波はめぐりめぐって中国から韓国を襲うことになる。人権法では、米国への脱北者の受け入れも決めているが、脱北者の大半は韓国行きが希望だ。しかし、韓国は現在でもすでに受け入れに手一杯、これ以上の受け入れには消極的である。それに今の韓国は北朝鮮との協調関係を重視し、関係悪化が確実な脱北者問題に深入りすることを避けている。

 北朝鮮人権法は議会共和党が主導して制定したもので、冒頭に説明したように難民の急増がきっかけで崩壊した東欧共産圏の例が念頭にある。北朝鮮から脱出した労働党元書記の黄長Y氏が訪米して議会証言も行なったことも影響した。同法の規定を守るなら、米国は日本人拉致事件が完全解決の見通しがつくまで援助はできないことになる。また、6カ国協議でも、北朝鮮が核開発を放棄しただけでは、米は経済支援に踏み出せない。その一方で、米の資金援助を得た脱北者支援組織が活発な活動を展開、脱北者の流出が続くということになるのか。いずれにしても、北朝鮮人権法が朝鮮半島情勢の今後に大きな一石を投じることは間違いない。


掲載、引用の場合は持田直武までご連絡下さい。


持田直武 国際ニュース分析・メインページへ

Copyright (C) 2004 Naotake MOCHIDA, All rights reserved.