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韓国政局の混乱
持田直武 国際ニュース分析

2004年3月15日 持田直武

韓国国会が盧武鉉大統領の弾劾案を可決、大統領権限停止に追い込んだ。同大統領就任以来の政争が行くべきところまで来た。背景には、対米協調路線と民族路線の抗争が潜んでいる。憲法裁判所がいかなる裁定を下しても、両派の抗争は今後も続き、その成り行きは、極東における米中の動きと連動して、日本にも大きな影響を与えるとみなければならない。


・引き金になった大統領の与党支援発言

 今回の弾劾の引き金になったのは、盧武鉉大統領が2月24日の記者会見で行った次のような発言だった。「ヨルリン・ウリ党(開かれたわが党)が票を獲得することができれば、合法的なことをすべてやりたい」。ウリ党は議席47の少数ながらも、大統領を支持する事実上唯一の与党。大統領発言の意味は、4月15日の国会選挙で、同党が多数の票を獲得できたら、それを背景に大統領として思う存分、自分の政策を実行したいという意味だと多くの人は単純に受け取った。

 しかし、野党ハンナラ党と民主党の幹部は、これを聞いていきり立つ。大統領がウリ党を支援する立場を明確にし、公務員に対して「選挙での中立」を課す選挙法に違反したとみたからだ。両野党は選挙管理委員会に問題を提起。その結果、選挙管理委員会は3月3日、大統領に対して「選挙で中立を守る義務の遵守」を要請した。委員の1人は、連合ニュースの電話インタビューに答え、この措置は「事実上の警告」と述べた。選挙を前に、守勢だった野党にとって大きな得点だった。

 実は、野党はこれまで大統領側の選挙攻勢に対し防戦一方だった。大統領は民主党を足場に当選したが、大統領に就任すると同志とともに脱党。その後、この同志たちがウリ党を結成して野党議員を引き抜き、切り崩しにかかった。大統領自身も側近の補佐官や閣僚をウリ党に送り込み、背後から協力する。その結果、4月の国会議員選挙では、ウリ党が議席を倍増して一挙に第1党にのし上がることが確実になった。問題の大統領発言は、この状況を背景に行われたもので、議席半減の危機に立つ野党の反発は当然だった。


・大統領の強気が弾劾を招く

 しかし、盧武鉉大統領は強気の姿勢を変えない。選挙管理委員会の「中立要請」が出た翌4日、大統領府は声明を発表、「要請をひとまず尊重するが、その判断については納得しがたい」と反論した。大統領府の首席広報官はこれについて「民主主義先進国では、大統領は広範な政治活動を保障され、政治的意思表示を選挙介入として処断するようなことはない」と述べた。盧武鉉大統領自身も週刊誌のインタビューで「政治家である大統領がだれ彼を支持したと、(第三者が)ケチをつけるのはおかしい」と批判した。米大統領選挙などの例を念頭におき、韓国の選挙法を理不尽とする反論である。

 選挙管理委員会がこの大統領府の姿勢に反発、広報官が「憲法機関である選挙管理委員会の決定を大統領府は尊重するべきだ。大統領府が選挙法違反を正当化するなら、選挙管理委員会は先の決定を見直し、一段高い措置を取らざるをえない」という強硬姿勢をみせた。朝鮮日報をはじめ言論機関もこの段階では、「公務員が選挙で中立を守らなかった場合の弊害」を説き、「大統領は選挙管理委員会の判断に従って中立を守るべきだ」という主張を展開した。

 この頃から野党民主党とハンナラ党の内部で「弾劾」の動きが具体化してくる。民主党の趙舜衡代表は4日、「大統領が選挙管理委員会の決定に反発を続けるなら、重大な決心をせざるをえない」と主張、党幹部と弾劾の協議を始めた。また、ハンナラ党も弾劾推進の具体的な方法の検討を洪思徳党総務に一任する。大統領が強気の姿勢で選挙管理委員会と対立し、言論界も大統領の姿勢を批判したことが野党を弾劾推進に走らせることになった。


・世論は弾劾反対が日を追って増える

 だが、世論は弾劾には反対だった。しかも、日を追うに従って反対が増える。3月5日、中央日報が発表した世論調査によれば、弾劾反対は48%、賛成は46%で、その差2%だった。それが、9日の朝鮮日報の世論調査では、弾劾反対53.9%、賛成は27.8%、反対が賛成の倍近くになる。そして、連合ニュースによれば、国会が弾劾案を可決した12日夜には、75%が反対、賛成は25%になった。世論は、弾劾をめぐる国会の動きを見放したことがわかる。

 野党もこの世論の逆風に気付かなかったわけではない。民主党は5日、大統領に対して、「選挙中立違反と腐敗に対して国民に謝罪し、再発防止を誓うよう」を要求、拒否すれば弾劾すると提案した。いわば、大統領に下駄をあずける条件闘争である。しかし、大統領は要求に応じない。そして、11日の記者会見で、謝罪要求を全面的に拒否。その上で「4月15日の国会議員選挙の結果をみて進退を決める」と述べた。大統領の首をかけてウリ党の党勢拡大をはかる魂胆とみられてもしかたのない発言だった。

 野党は反発し、弾劾に消極的だった第3党の自民連も弾劾賛成にまわった。そして翌12日、弾劾案は賛成193票を集め、可決された。野党は、世論の逆風を受け、不利なことを知りながら弾劾に走る以外の道がなくなったのだ。その日の夜、連合ニュースが発表した政党支持率は、弾劾に身体をはって抵抗したウリ党が33%で首位に立ち、次が野党ハンナラ党で12%、弾劾にもっとも積極的だった民主党は5%に急落した。


・弾劾反対の底流に民族主義の潮流

 弾劾を可決した議場では、与党ウリ党は少数派だったが、議場の外では支持者が確実に増えていた。1年余り前、盧武鉉大統領の誕生を支えた有権者がその中心になっていることも間違いない。当時、韓国は米軍装甲車が女子中学生2人を轢殺した事件で全土が沸き立ち、反米、反基地のデモが連日起きていた。その底流には、対米従属からの脱皮、南北の融和と統一を重視する民族主義の流れがあった。

 盧武鉉大統領は就任後、この期待に応える姿勢を忘れなかった。米軍が北朝鮮攻撃のため韓国内の基地を使うことを認めないと発言。また、ブッシュ政権がイラクに1個師団(約1万人)の韓国軍派兵を求めたのに対し、長期間渋ったあげく、議会にせっつかれて、ようやく3,000人の派兵を決定。しかし、未だに派遣に踏み切らない。盧武鉉支持者の眼には、今回の弾劾騒動は対米従属の野党が、対米関係の変革を目指す大統領の追放をねらった「議会クーデター」と映っている。

 パウエル国務長官は弾劾案可決のあと、韓国の潘基文外交通商相と連絡を取り、「米韓関係に変わりがないことを確認した」と述べた。たしかに短期的には、変化はないかもしれない。しかし、今後に予定される在韓米軍の再編問題などで、この韓国の世論が交渉に影響しないはずがない。憲法裁判所の最終判断で、盧武鉉大統領の続投が決まっても、あるいは新大統領に代わったとしても、この世論の圧力を無視することはできない。その動きは、次第に存在感を増す中国の動きと連動し、対米関係だけでなく、日本はじめ東アジア全域に影響することになる。


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