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一極化の象徴、ボルトン国連大使の登場
持田直武 国際ニュース分析

2005年3月22日 持田直武

ジョン・ボルトン氏56歳、エール大学出身の弁護士。3代の共和党政権に参加し、米国至上主義、国連バッシングを展開したネオコン(新保守主義者)の象徴的存在。ブッシュ大統領はそのボルトン氏を国連大使、もう1人のネオコンの象徴、ウオルフォビッツ国防副長官を世界銀行総裁に指名した。9・11テロ事件後、一極化の度合いを増したブッシュ政権が、両氏を国際機関に送り出す意図は何か。


・常任理事国は米一国だけと主張

 歴代の米政権幹部で、ボルトン氏ほど痛烈な国連批判を展開した人はいない。1994年の世界連邦協会の討論会で、同氏は「国際連合など無いのと同じだ。国連本部が38階建てから10階分少なくなっても、何の変わりもない」と述べて、国連の活動に不満を表明。また、97年のウオール・ストリート・ジャーナルへの寄稿文で、同氏は「条約が米国の方針に合わないなら、法的に拘束される理由はない」と主張して、国連分担金の支払いに反対した。米国内では当時、国連が開発途上国で進める家族計画に妊娠中絶を含めたことに反対する世論が強く、議会は分担金支払いを認めなかった。ボルトン氏はその主張の理論的リーダーだった。

 ボルトン氏のこのような国連批判の背景には、強烈な米国至上主義があることもわかる。同氏は2000年の米公共放送のラジオ番組で、司会者の質問に答え、「もし、私が国連を改革するなら、安全保障理事会の常任理事国は米国だけにする。今の世界で、どの国が力を持っているかを考えれば、当然のことだ」とも述べた。また、北朝鮮との関係については、99年のロサンゼルス・タイムズとのインタビューで、「関係正常化は北朝鮮の利益になるだけだ。米国はそんなことに関心はないとはっきり言うべきだ。北朝鮮が正常な国になるまで関係を持つべきではない」と主張した。

 このボルトン氏の米国至上主義、反国連は引退した共和党保守派の重鎮、ヘルムズ前上院議員の衣鉢を継いでいる。同氏は、ネオコンのシンクタンク「米新世紀プロジェクト」の会員だが、ネオコンの主要メンバーが若い頃、民主党リベラル派に接近したような思想遍歴はない。10代の頃から、共和党保守派のゴールドウオーター大統領候補の選挙運動に加わるなど保守派で一貫していた。そして、エール大学で弁護士資格を取ったあと、レーガン政権に参加、ヘルムズ上院議員の後ろ盾を得た。01年のブッシュ政権発足で、同氏は国務次官に昇進。その上院外交委員会の就任審査にあたって、同委員会の委員長だったヘルムズ上院議員は「善と悪の大決戦アルマゲドンには、私は彼と一緒に戦いたい」と同氏を称賛したことでも知られている。


・ブッシュ政権の一極化政策の象徴

 ブッシュ政権は01年に登場すると、クリントン前政権の国際協調路線を大転換、保守派の主張に沿った国益重視の外交方針を打ち出した。そして、ロシアやEU諸国の反対を押し切って、冷戦時代のABM(弾道弾迎撃ミサイル制限条約)の破棄を宣言。地球温暖化ガスの削減目標を定めた京都議定書からも離脱。CTBT(包括的核実験禁止条約)の死文化を容認。生物兵器禁止条約の議定書にも反対と、わずか半年の間に次々と国際条約に背を向けた。いずれも、米国の国益に合致しないことが理由だった。

 当時のニューヨーク・タイムズは「ブッシュ大統領は第二次世界大戦後の米外交を象徴する条約と国際協調の精神を蔑視している」と批判。他のメディアも「米国至上主義」、「単独行動主義」、あるいは「力の驕り」などと手厳しかった。しかし、ボルトン新国務次官にとって、この状況は自分のかねてからの主張を政策化する絶好の機会になった。ボルトン氏の後見役、ヘルムズ前上院議員はじめ、ブッシュ政権の誕生を支援した共和党保守派が背後でこの動きを支え、その推進役のボルトン氏に対する評価が高まったのは言うまでもない。

 そして、01年9月11日の同時多発テロ事件が起きる。ブッシュ政権にとって、これはヘルムズ前上院議員の言う「善と悪の大決戦アルマゲドン」だった。ブッシュ大統領が、日本はじめ世界各国に向かって「あちらにつくか、こちらにつくか」と迫ったのも、理由のないことではない。そして、ボルトン国務次官は、この決戦にあたって、ブッシュ陣営の参謀役だったと言ってよい。同次官が上司のパウエル国務長官を差し置いて、しばしば強硬な発言をし、米国至上主義、米一極支配のシンボルのように言われたのも当然の成り行きだった。


・国連に転出させるブッシュ大統領の意図

 ボルトン氏の国連転出は、本人が希望したものではないという。ニューズウイークとタイムの2誌によれば、同氏は国務副長官を希望し、猟官運動をしたが、失敗。一方、同氏の功績を評価するチェイニー副大統領は国防次官、あるいは副大統領の主席補佐官を考えたが、いずれも実現しなかった。このあと、国連大使に決まるが、それを提案したのは、チェイニー副大統領と大統領の側近カール・ローブ大統領顧問、カード主席補佐官だったという。ボルトン氏がワシントンの政策立案の中枢に残ろうとし、チェイニー副大統領も支持したが、大統領側近たちは国連転出を考えていたようだ。

 国連大使のポストは、政策立案の中枢からは確かにはずれる。ボルトン氏もニューヨークに行けば、ブッシュ政権の政策立案に影響力を持つことは無理だろう。しかし、テロ戦争や中東民主化構想など、世界戦略の展開にあたって、国連を除外することはできない。しかも、国連は安全保障理事会の改組を含む大幅改革を今検討中である。この改革に米国の主張を反映させることも、ブッシュ政権としてはおろそかにできない。

 ブッシュ大統領は3月16日、ボルトン氏と並ぶネオコンのシンボル、ウオルフォビッツ国防副長官を世界銀行総裁に指名した。国連と世界銀行という二大国際機関に、政権1期目の世界戦略を担った強硬派の2人を転出させる。1期目の単独行動路線を改め、国際協調路線に転換する動きと受け取る向きもあるが、むしろ1期目の延長、その拡大路線と見るほうが正しいと思う。共和党保守派は、国連や世界銀行の活動に米国の価値観を反映させることを要求している。ブッシュ大統領のねらいもそこにあると思う。


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