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靖国神社と外交
持田直武 国際ニュース分析

2005年6月20日 持田直武

小泉首相が靖国神社参拝を続ける姿勢を崩さない。中国、韓国が苛立ち、両国との関係は国交正常化いらい最悪の状態となった。靖国神社参拝問題がアジア外交のとげでもあるかのような様相である。だが、振り返って見ると、近い国どうしでありながら、情報の疎通に欠け、相手の動きを正確に把握できない、外交の現状がその背景に浮き上がってくる。


・言い分が噛み合わず、すれ違いが続く

 靖国神社参拝をめぐる小泉首相と中国政府のやり取りには、今もって腑に落ちないことが多い。5月23日、呉儀副首相が小泉首相との会談をキャンセルして帰国した問題でも、それを感じた。共同通信によれば、中国各紙は5月26日、キャンセルの理由は「首相が胡錦涛主席との約束を守らなかったのが原因」と報じたという。4月のジャカルタでの首脳会談で、胡錦涛主席が歴史への反省など5項目の提案をし、首相がそれを受け入れたにもかかわらず、5月16日の国会答弁で靖国参拝を続ける意向を表明したことを指している。しかし、首相のほうは、約束などしていないと思っているのだ。腑に落ちないのは、この点についてである。

 たしかに首相は4月23日、ジャカルタで胡錦涛主席と会談。朝日新聞によれば、主席はこの席で、歴史を鑑として未来に向かうことや、台湾問題の適切な処理など5項目を提案。靖国神社参拝や教科書検定などにも触れたという。会談後、小泉首相は記者会見し、靖国参拝問題について「胡錦涛主席から話があったが、主席は『この問題についていちいち討論する気はない』と言っていた。時間の問題もあって、私からは靖国の問題、歴史の問題について具体的に話はしなかった。私は靖国神社の参拝について、適切に判断することに変わりはない」と語った。

 小泉首相は、靖国神社の参拝中止を胡錦涛主席に約束したとは露とも思っていないばかりか、むしろ次の参拝について「適切に判断する」とさえ語った。一方、中国外務省も会談後、「主席は靖国神社参拝の中止を求めなかった」と説明したという。会談でのやり取りについて、日本側の解釈、胡錦涛主席周辺の解釈、中国外務省の解釈がそれぞれ違っているのだろうか。これに類した状況は、04年11月チリのサンチャゴで行なわれた小泉・胡錦涛会談でも窺うことができる。


・首相の靖国神社参拝を前提にチリで首脳会談

 毎日新聞によれば、飯島勲首相秘書官は6月11日、長野県辰野町で講演し、04年11月にチリのサンチャゴで行なわれた小泉首相と胡錦涛主席の首脳会談に触れ、「首相は中国側に『時期は別として来年(05年)も靖国神社を参拝する。それでも不都合がなければ会談を受ける』と伝えた上で会った」と述べた。APEC(アジア太平洋経済協力会議)に出席した小泉首相と胡錦涛主席は04年11月21日、1時間10分にわたって会談したが、この会談は首相の靖国参拝を前提にしていたということになる。会談後、日本外務省が発表した会談の概要によれば、靖国神社に関係する部分は次のようになっている。

「胡錦涛主席は『日中関係を進めるにあたり、幾つかの点を配慮する必要がある』として、次の4点を強調した。(1)日中間の3つの政治文書を遵守し、歴史を鑑とし、未来に向かい、長期的展望に立ち、大局に立って友好関係を進展(2)地域・国際問題での協力(3)相互理解と信頼関係、交流の促進(4)共通利益を踏まえて、経済協力の促進」。胡主席は「その上で、『歴史を避けては通れない』として、靖国神社参拝に言及し、適切に対処して欲しい旨述べるとともに、特に明年(05年)は反ファシスト勝利60周年の敏感な年であると強調した」。

 これに対し、「小泉総理は概略以下のように発言した。胡主席の述べた4点のほか、多くの点で共通認識を分かち合っている。歴史を大切にすることは重要である。靖国神社参拝については、これまでの小泉総理の考え方(自分の参拝の気持ちは、心ならずも戦場に赴き亡くなられた人々への哀悼を捧げ、二度と戦争を起こしてはならないとの不戦の誓いをするもの)と詳しく説明した」。

 上記で見る限り、胡錦涛主席は「靖国神社参拝を適切に対処して欲しい」と述べただけである。飯島秘書官が言うように「来年も参拝する。それでも不都合がなければ会談を受ける」という条件を受け入れて会談したのなら、これは中止を求めたのではなく、参拝の仕方に配慮して欲しいという要求と解釈できる。胡主席の発言に対し、小泉首相が自分の参拝の気持ちを説明したのは、首相も主席が中止を求めているのではないと理解したからだろう。


・紳士協定の主張で露呈した靖国をめぐる深い溝

 このチリの首脳会談のあと、今年4月のジャカルタの首脳会談でも、胡錦涛主席は靖国神社の参拝中止を要求しなかった。首相はそれを踏まえ、会談後の記者会見で、今年中の参拝について「適切に判断することに変わりはない」と述べた。5月16日の衆院予算委員会でも、首相は今年中の参拝の有無について、「いつ行くか、適切に判断する」と述べたが、これも、上記の経緯からすれば、当然だったのだろう。中国側が、これを胡錦涛主席との約束を破ったものとして、呉儀副首相との会談キャンセルの理由にするのはおかしいということになる。

 こうなった背景については、両国が靖国神社参拝をめぐって結んだという紳士協定問題の浮上がその一端を窺わせている。同紳士協定は王毅駐日大使がジャカルタの首脳会談から4日後の4月27日、自民党の外交調査会の講演でその存在を主張し、日本側は否定した。同大使や中国側関係者によれば、紳士協定は85年、当時の中曽根首相が靖国神社を公式参拝して中国との関係がこじれ、これを修復する過程で、中国側が要求して結ばれた口頭の約束という。内容は「日本政府の顔である首相、外相、官房長官の3人は靖国神社を参拝しない」というものだという。

 これに対し、小泉首相は同日夜の記者会見で、「王毅大使がどういう趣旨で言ったのかわからないが、紳士協定とか、密約とか、そういうことは全くない」と存在を否定した。日本外務省の関係者も「協定があるとは知らない。少なくともこの数年間、交渉の中でそういう話は出ていない」と語っている。口頭の約束ということもあって、証拠もなく、今のところ日中どちらの言い分が正しいのか、わからない。しかし、中国の対日外交の最前線の責任者、王毅大使が存在を主張するところを見れば、中国側はその存在を日中共通の認識と見做し、それに基づいて外交を進めているのかも知れない。しかし、日本側にはその認識はない。逆に言えば、その場合、日中双方とも相手の基本認識を把握しないで靖国問題を扱っていることになる。


・中国の本音を掴むことが急務

 既述のように紳士協定の有無はわからない。しかし、それを中国だけが外交に取り入れ、日本の外交当局は何年間も知られないまま、外交が展開したとすれば、これほど由々しきことはない。中国が意図的に言い立てているとすれば、なおさらだ。この問題が浮上したとき、上述のように日本の外交関係者は「少なくともこの数年間、交渉の中でそういう話は出ていない」と語った。しかし、過去2回の小泉・胡錦涛会談を見てもわかるように、首脳会談でのやり取り、あるいは外交官の交渉だけでは、中国の本音は掴めないことが多いのではないか。首脳会談での約束違反を理由にした呉儀副首相の会談キャンセルがその良い例だ。紳士協定の有無の浮上は、この疑問に何がしかかの鍵を与えていると思う。


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