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イラン制裁強化、ウラン濃縮をめぐる攻防
持田直武 国際ニュース分析

2007年4月1日 持田直武

イランが国連決議を拒否、ウラン濃縮を止めない。このまま濃縮を続け、高濃縮ウランを蓄積すれば、核施設の攻撃は難しくなる。放射性物質が拡散するからだ。イランがウラン濃縮を急ぐ理由も、そこにあるという見方が強い。米軍は空母2隻をペルシャ湾に派遣して大規模の演習を開始。双方が瀬戸際の攻防に入った。


・米・イラン双方とも攻撃を意識

 国連安保理は24日イランに対し、ウラン濃縮など核活動の全面停止を要求、応じない場合の追加制裁を決議した。イラン制裁決議は、昨年12月に次いで2回目。今回は武器輸出の全面禁止や関係者の出国禁止、資金融資の規制など、前回の制裁を一段上回る内容。イラン強硬派の中心となっている革命防衛隊の弱体化もねらっている。これに対し、イランは直ちに拒否を表明。今後もウラン濃縮を続けるとの強硬姿勢を明確にした。イランがこの姿勢を今後60日以内に変えない場合、安保理はさらに強い措置を取ることになる。

 イランはウラン濃縮を続ける理由として「平和利用の権利」としか説明しない。確かに、核拡散防止条約(NPT)は核の平和利用の権利を認めているが、イランの場合、平和利用は建前、本音は核兵器開発との疑いが濃い。安保理決議を拒否してウラン濃縮を続けることが、この疑いをさらに強めている。イランがこのまま濃縮を続け、高濃縮ウランが一定量に達すれば、核施設を攻撃することは難しくなる。攻撃によって放射性物質が拡散し、大規模な被害をもたらす恐れがあるからだ。イランが濃縮を続けるのは、その一定量の蓄積を早く確保するためとの見方が強い。

 米とイスラエルがこれを阻止するため軍事行動を起こす可能性もある。英紙サンデー・タイムズは1月7日、イスラエル軍関係者の話として「イスラエル軍がイラン中部ナタンツのウラン濃縮施設を攻撃する計画を立案した」と報じた。地下貫通型の小型核兵器を使って地中深くの濃縮施設を攻撃するという。また、米誌ニューヨーカーも2月24日、ブッシュ政権高官の話として「米軍が攻撃計画を立案した」と伝えた。ウラン濃縮施設攻撃のほか、政府転覆、イラクへの武器の流れの阻止などをねらい、大統領が命令を出せば24時間以内に行動を起こすという。


・イラクのオシラク原子炉攻撃が手本

 イスラエルの新聞エルサレム・ポストは23日、米・イスラエルは「攻撃のタイミングについても検討している」と伝えた。それによれば、「米とイスラエルは、当面は外交努力でイランのウラン濃縮を阻止することを優先する。しかし、外交努力を尽くしても、イランが濃縮を止めず、高濃縮ウランの蓄積が一定量に達すると判断すれば、核施設を攻撃することを検討する」というのだ。放射性物質の飛散など二次災害が起きる前の段階で核施設を破壊する計画で、81年にイスラエルが行ったイラクのオシラク原子炉攻撃を手本にしている。

 当時、イラクのフセイン政権はバグダッドの南東18キロのアル・ツワイスに原子力研究所を建設中で、フランスからオシラク原子炉を導入した。原子炉の燃料となる高濃縮ウランもフランスが供給する契約だった。80年9月、イラン・イラク戦争が始まったあと、フランスはその最初の燃料として、当時標準だった純度93%の高濃縮ウラン12.5キロをイラクに渡した。イスラエルはじめ周辺諸国が警戒したのは言うまでもない。フセイン体制下のイラクが核兵器開発に動く不安があるほか、戦火の拡大で原子炉が破壊される危険もあった。

 事実、イランはイラクとの戦争を開始した直後、原子炉を破壊しようとして攻撃した。だが、この時は施設に損傷を与えただけで原子炉を破壊することはできなかった。次いで翌年6月、イスラエルの空軍部隊が爆撃して今度は完全に破壊した。イスラエル情報機関が、フランスから高濃縮ウランが届くという情報を掴み、それを原子炉に入れる直前をねらって攻撃した。原子炉は壊れたが、放射性物質が飛散する危険は避けられた。オシラク原子炉は、このイスラエル空軍による破壊のあと、米軍が91年の湾岸戦争の際にも攻撃し、完全に消滅した。


・軍事演習と水兵拘束で双方が瀬戸際の攻防

 イスラエル軍のオシラク攻撃には、周辺諸国も暗黙の了解を与えた節がある。参加した空軍機はF16戦闘爆撃機8機、護衛のF15戦闘機6機。飛行距離は1,100キロ、ヨルダンとサウジアラビアの領空を通過したが、両国とも気付かなかったという。イスラエル関係者は空軍機が巧みにレーダーを避けたと説明した。しかし、暗黙の了解があったとの見方が強い。ヨルダンやサウジがフセイン政権の核開発に不安を感じていたこともその理由の1つ。また、攻撃のあと、イスラエルが占領していたシナイ半島の飛行場をエジプトに返還したことも、その見方を強めた。

 オシラク原子炉が破壊されたあと、フセイン政権は核開発には手を付けなった。湾岸戦争の際、イラク軍はイスラエルにスカッド・ミサイルを撃ち込んで挑発したが、核弾頭がなく、被害は軽微だった。おかげで、イスラエルは湾岸戦争に参戦せず、戦火が中東全域に拡大することもなかった。イスラエルでは、オシラク攻撃を決断した当時のベギン首相の功績を評価する声が今も高い。イスラエルのオルメルト現首相が米ブッシュ政権と協力して、イランの核施設攻撃を計画する背景には、このベギン首相に対する国内の評価を無視できないことがあると見てよいだろう。

 米軍は3月下旬からペルシャ湾に空母2隻を中心とする大部隊を動員して軍事演習を開始した。同湾周辺に米軍の大部隊が集結するのは、03年春のイラク攻撃以来だ。これに対し、イラン軍も23日、国境のシャトルアラブ川で、英海軍の小型ボートを襲撃、水兵15名を拘束した。イランは79年、米大使館員52人を444日間も人質にして米と対決したことがあり、拘束はこれを想起させる。オシラク原子炉攻撃は、イラクがイランとの戦争で手一杯で、影響は限定的だった。しかし、イランの核施設攻撃はそれでは済まないと考えなければならない。


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