メインページへ戻る

米大統領選挙 ジュリアーニ Who?
持田直武 国際ニュース分析

2007年5月27日 持田直武

共和党の大統領候補は10人、その支持率首位の座を占めるのがルドルフ・ジュリアーニ氏だ。連邦検察官としてニューヨーク・マフィアを一掃し、ニューヨーク市長時代には、9・11テロ事件の処理に敏腕を振るった。だが、社会政策では、妊娠中絶を容認、同性愛者に寛容、銃規制強化を支持するなど、共和党員らしからぬ主張をし、保守的理念を心情とする共和党主流とは相容れない。


・共和党主流派と真っ向から対立

 共和党内でしかるべき地位を望むなら保守派でなければ不利だ。第二次大戦後、共和党の歴代大統領はアイゼンハウアー大統領を除き、全員保守派だ。もっとも、保守派のフリをした大統領もあったらしい。今度の選挙でも、共和党候補は保守派であることを誇示している。その証として、妊娠中絶反対、同性愛結婚反対、銃規制反対、この反対の3点セットを掲げる。ただ1人の例外がジュリアーニ前ニューヨーク市長だ。前市長は選挙演説で、これら3点を支持することを隠さない。当然のことに、共和党主流の保守派とは相容れないことになる。

 共和党の政策討論会などで、ジュリアーニ前市長が主張する中絶容認論は要約すると次のような内容だ。「中絶は道徳に反する行為であり、様々な制限を設ける必要がある」。しかし「法的には女性が選択するべき権利として認めるべきだ」。中絶を合法化した1973年の米最高裁判決に基づいた主張である。しかし、共和党主流の保守派は「中絶は罪のない人間の生命を絶つ行為で、殺人と同じ」と断定し、いかなる形の中絶も認めるべきではないと主張する。この主張は、人間の生命は受胎から始まるとするキリスト教の教えに基づいている。

 同性愛者の問題についても、共和党保守派は男女の結びつき以外を認めるべきではないというのが基本的な立場だ。ブッシュ大統領は、この立場に基づいて憲法を改正し、「結婚は男女間に限る」よう提案している。これに対し、ジュリアーニ前市長は「同性結婚は認められないが、家庭生活を共にする同性愛者には、男女のカップルと同様の権利を認める」と主張。ニューヨーク市長時代、市職員が同性愛者のパートナーと生活を共にしている場合、扶養家族として扱った。妥協案だが、共和党保守派がこれを受け容れることは難しい。


・ニューヨーク時代の実績が武器

 銃の問題については、ジュリアーニ前市長も共和党保守派も個人に銃所持の権利を認める点では同じである。国民が銃を持つ権利は、憲法修正第2条に規定がある。保守派は、如何なる形の銃規制もこの規定を侵害するとして反対する。これに対し、前市長は犯罪を防止するための規制などはやむをえないと主張。ニューヨーク市長時代には、前科者や精神異常者への販売を禁止した。また、銃の製造や販売に携わる企業20社を相手取って訴訟を提起、銃規制に協力するよう要求したこともある。この結果、ニューヨーク市の銃犯罪が減少したことも事実だった。

 ジュリアーニ前市長の政策と主張には、こうしたニューヨーク時代の実績と経験が色濃く反映している。前市長は1944年5月、ニューヨーク・ブルックリン生まれで、ニューヨーク育ち、大学もマンハッタン・カレッジからニューヨーク大学法科大学院に進んだ。両親はイタリア系移民の2世でカトリック教徒。一族の中には、警察官や消防士がいたが、犯罪者もいた。父親は暴力沙汰を起こし、警護が厳しいので有名なシンシン刑務所で服役。釈放後は、ブルックリンでマフィアの義弟が経営するレストランや賭博場、違法金融業の用心棒になった。

 そんな環境のもと、ジュリアーニは法科大学院を優等で卒業。68年に弁護士、70年に連邦検事に任官した。当時は民主党員として活動し、72年大統領選挙では民主党の反戦候補マックガバン上院議員を支持した。しかし、75年共和党のフォード政権がジュリアーニを法務次官補に抜擢。それ以来、共和党の法曹実務者としての道を歩き出した。76年選挙でフォード大統領が敗退し、ジュリアーニも司法省を退官、弁護士生活に戻った。しかし、81年の共和党レーガン政権の発足で、司法省のナンバー3にあたる司法次官として復帰。83年には、ニューヨーク南部管轄の連邦検事として、マフィアの掃討作戦の陣頭指揮を取ることになる。


・マフィア撲滅と9・11事件で知名度抜群

 連邦検事の職はジュリアーニが全国に名を売る最初の機会となった。就任早々、ウオール・ストリートを牛耳っていたマーク・リッチ氏など大物投資家をインサイダー取引で起訴。暗黒街にもメスを入れ、当時「ニューヨークのファイブ・ファミリー」と言われたマフィアの一掃作戦を始めた。そして、ガンビーノ一家のボス、カステラーノなどファミリーのボスたちを次々起訴、有罪に持ち込んだ。マフィアはアル・カポネのシカゴ・マフィアが壊滅したあと、ニューヨークに進出した。これに対し、レーガン政権が撲滅作戦を展開、ジュリアーニが検事として陣頭に立った。

 ジュリアーニは事件のたびにメディアに登場、知名度は上がった。先輩検事の中には、それを梃子に政界に転進した例も多い。ジュリアーニも89年、ニューヨーク市長に立候補。最初は落選するが、93年選挙で当選した。そして、2期目の任期の最終年、9・11同時多発テロ事件が起きる。ジュリアーニは市長として事件処理の陣頭指揮を執り、メディアは「アメリカの市長」と称賛した。これまでニューヨーク中心だった知名度は全米に拡大し、大統領をねらっても不思議はない立場に立った。04年選挙では、立候補はしなかったが、共和党の議員候補の応援演説で全国をまわり、ブッシュ後をねらう姿勢を隠さなかった。

 ジュリアーニ前市長と共和党保守派は中絶など社会問題では相容れないが、テロに対する強硬姿勢は一致している。9・11テロ事件が起きた時、サウジアラビアのアルワリード王子が「テロは米国がパレスチナ問題を公平に扱わないことが原因」という趣旨の発言をした。前市長はこれに対し、「米やイスラエルのような民主主義国とテロを匿う国の違いを理解できない者の発言がテロを容認する」と反論。同王子が事件の復興資金として提供した1,000万ドルを付き返した。この時、支持率は79%の最高を記録した。


・共和党保守派の壁を越えて支持拡大

 CBS放送とニューヨーク・タイムズが5月18日から5日間にわたって実施した調査によれば、共和党の大統領候補10人のうち、ジュリアーニ前市長は支持率36%で依然1位。共和党と民主党の支持率は、ブッシュ政権のイラク政策の不評を反映し、共和党33%、民主党49%。しかし、ゾグビー・アメリカ社の調査では、ジュリアーニ前市長と民主党のクリントン上院議員が対決した場合、前市長が48対43で勝つという結果が出た。前市長が共和党保守派の壁を越えて支持を広げていることがわかる。もし、当選すれば、イタリア系の初めての大統領となる。


掲載、引用の場合はこちらからご連絡下さい。


持田直武 国際ニュース分析・メインページへ

Copyright (C) 2007 Naotake MOCHIDA, All rights reserved.