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パキスタンの危機
持田直武 国際ニュース分析

2008年1月20日 持田直武

ブット元首相の暗殺が米国のテロ戦略を狂わせた。米は元首相の政権参加で、米特殊部隊をパキスタン北西部に展開できると期待した。アフガニスタンの武装勢力タリバンを制圧するには、国境地帯に巣食うタリバンと国際テロ組織を一掃しなければならない。だが、暗殺によって、パキスタン国内が主戦場となる恐れが強まった。


・米の思惑を秘めたブット帰国と総選挙

 ブッシュ政権がパキスタン北西部で特殊部隊の作戦を計画していることは知られている。この地域の多くは、アフガニスタンと国境を接する山岳地帯。地元の部族が支配し、パキスタン中央政府の統治を拒んできた。米情報機関によれば、9・11テロ事件の首謀者ビン・ラディンなどアル・カイダ系テロリストが潜伏しているほか、最近はアフガニスタンの武装勢力タリバンも影響力を拡大。アフガニスタンとパキスタンにまたがるテロ組織の聖域となったという。

 ブッシュ政権はムシャラフ大統領に対し、この地域で米特殊部隊の作戦を認めるようかねてから要請してきた。これに対し、同大統領は米CIA(中央情報局)要員の情報収集など小規模な活動を認めただけで、特殊部隊の作戦は認めなかった。認めれば、国内の反米感情が高まり、脆弱な同大統領の足元が揺れることは確実。だが、10月の大統領再選では、同大統領は軍参謀総長の兼務問題で最高裁とも対立し、11月には非常事態宣言を出して憲法を停止する事態に追い込まれた。

 これに対し、ブッシュ政権は民主主義の否定と不満を表明、1)非常事態宣言の撤回、2)参謀総長の兼務返上、3)総選挙の早期実施、以上3項目の実施を迫った。亡命から帰国したブット元首相も米と足並みを揃えて非難した。元首相は帰国に先立って、ムシャラフ大統領と政権参加を協議。参加の条件として、同大統領が参謀総長を返上、総選挙を実施することで合意していたという。同大統領は圧力に屈して、11月一杯で参謀総長を辞任、総選挙を1月8日に実施すると決めた。


・暗殺のねらいは米特殊部隊の作戦阻止

 ブッシュ政権がブット元首相の帰国に一役買ったことは間違いない。元首相はかねてからテロ組織に対して強硬措置を取るべきだと主張。米軍がパキスタン北西部で作戦する計画を支持してきた。こうした事実からみて、米側には、ブット元首相が総選挙後に首相に帰り咲けば、パキスタン領内における米特殊部隊の作戦を認めるとの期待があった。ムシャラフ大統領が参謀総長職を返上して軍の指揮権を失えば、たとえ作戦に反対しても、阻止することは出来ないと思われた。

 ブット元首相の暗殺は、このブッシュ政権の期待を打ち砕いた。米・パキスタン両国情報機関は、暗殺の背後に北西部で最近勢力を拡大したタリバン系武装組織が存在するという点で一致している。同組織の指導者メスード司令官は34歳。アフガニスタンのタリバン指導者オマール師やビン・ラディンの国際テロ組織アル・カイダと連携して急速に勢力を拡大。昨年12月、パキスタン領内のタリバン系組織の上部機関シューラの議長に就任、武装勢力5,000人の最高司令官となった。

 同組織はこれまでパキスタン領内からアフガニスタンに越境して米軍などを攻撃していたが、昨年から作戦を変更。パキスタン国内の目標を自爆テロで攻撃するようになった。目標の中には、ブット元首相やムシャラフ大統領、野党イスラム教徒連盟シャリフ派のシャリフ元首相などパキスタン要人が含まれていた。同組織のスポークスマンは12月30日「暗殺事件には関与していない」と否定した。しかし、同組織が米特殊部隊の作戦を阻止するため、容認派のブット元首相を暗殺したとの疑いは根強い。


・ムシャラフ大統領は米軍との共同作戦を提案

 ブッシュ政権はブット元首相暗殺のあとも特殊部隊の作戦計画を捨てていない。ニューヨーク・タイムズによれば、ブッシュ大統領は6日、チェイニー副大統領やライス国務長官など安全保障担当幹部とパキスタン問題を協議した。内容は公開されていないが、現在CIAが実施している情報収集活動を拡大、これに米軍特殊部隊の秘密作戦を加える方向で検討したという。CIAと米軍が必要と判断した場合、軍の特殊部隊が目標を直接攻撃するなど、米軍の直接介入を目指す内容だった。

 ブッシュ政権はこれら検討項目をパキスタン政府には伝えなかったという。ところが、ムシャラフ大統領は11日付けのシンガポールの新聞、ストレート・タイムズのインタビューで「米軍の単独行動は許さない」と米軍の単独作戦を拒否した。そして「攻撃を共同で実施すること」を提案。「攻撃する目標を共同で検討し、攻撃も共同で行う」というのだ。米側はこれに対し、まだ何の反応を示していない。しかし、米軍の情報専門家は「米単独の作戦実施が必要」との立場を崩さない。

 ブッシュ政権が米単独の作戦にこだわるのは、パキスタン情報機関の信頼度を疑うからだ。ニューヨーク・タイムズ(15日電子版)によれば、同国の情報機関ISIは最近傘下の武装情報員多数に対する統制力を喪失。彼らの多くがタリバンやアル・カイダ側に寝返り、今はパキスタン軍や情報機関員に対する攻撃に加わっている。昨年からパキスタンで連続して起きた自爆攻撃やブット元首相の暗殺事件にも、彼らが関与しているとの見方もある。


・ムシャラフ大統領の不安

 ブリュッセルのEU本部報道官は14日「ムシャラフ大統領が21日EU本部を訪問し、ソラナ外交代表と会談する」と発表した。そして、23日からスイスのダボスで開催される世界経済フォーラム(ダボス会議)に出席するためスイスに向けて出発するとも述べた。しかし、同大統領の外遊はパキスタン国内では公表していない。ブット元首相の暗殺から2月18日の総選挙へとパキスタンは今、国家の浮沈を賭けた動きの最中にある。大統領が外遊する時なのかとの疑問が湧くのは当然だ。

 ムシャラフ大統領は上記ストレート・タイムズやドイツのシュピーゲル誌とのインタビューで「総選挙で負ければ大統領を辞任する」と語った。総選挙では、ブット元首相の人民党やシャリフ元首相の率いるイスラム教徒連盟シャリフ派が支持を伸ばし、ムシャラフ大統領の与党イスラム教徒連盟は分が悪い。同大統領はすでに軍参謀総長の職務も返上、国軍の力を頼ることもできない。スイスに行って、そのまま亡命したとしても不思議ではないかもしれない。


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