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次回掲載予定「イラク駐留米軍撤退の見通し」【オリジナル記事】
イランの核危機
【オリジナル記事 2008年7月22日掲載】
ブッシュ政権がイランに秋波を送っている。イランがウラン濃縮を中止しなければ交渉しないとの原則を棚上げ、バーンズ国務次官を交渉の場に派遣した。テヘランに外交代表を常駐させる案も検討している。難航する核交渉の背後で、米イランが密かに動いている。(記事全文⇒)
米大統領選 攻防の裏表
【オリジナル記事 2008年7月13日掲載】
オバマ、マケイン両候補が党内の支持取りまとめに苦労している。民主党はクリントン候補支持者の3分の1が依然オバマ候補を忌避、投票に棄権するという。共和党は保守派がマケイン候補の中道派寄りの政策に不満、党大会で採択する党綱領から中道派色を削除するべく画策している。両候補とも当面の敵は党内にいる。(記事全文⇒)
6カ国協議 北朝鮮核申告の評価
【オリジナル記事 2008年7月6日掲載】
米のニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストが北朝鮮との核交渉を評価する社説を掲載した。核施設の無能力化で核兵器用プルトニウムがこれ以上増えなくなることを重くみたのだ。タイム誌はブッシュ政権の楽勝とまで言い切った。テロ支援国指定という実質的意味がない代物をエサに、大魚を釣ったというのである。(記事全文⇒)
米大統領選 オバマ、マケイン両候補の軍資金
【オリジナル記事 2008年6月29日掲載】
民主党オバマ候補が公的資金を辞退、献金だけで本選挙に挑む。献金の目標額は2億から3億ドル、支出制限はない。一方、共和党マケイン候補は公的資金8,410万ドルで対抗する。オバマ候補が圧倒的に有利だ。だが、選挙戦の軍資金はこれだけではない。双方の外郭団体が別枠で資金を集めてダーティ・キャンペーンを展開する。それが選挙結果を左右する場合もある。(記事全文⇒)
北朝鮮が拉致問題再調査でねらうもの
【オリジナル記事 2008年6月22日掲載】
北朝鮮が「拉致事件の生存者を発見し、帰国させるための再調査」を約束した。だが、北朝鮮外務省の声明に「生存者」の文字はなく、疑問は多い。北朝鮮は近く核計画の申告もするが、これには核兵器は含まれていない。それでも、米は北朝鮮をテロ支援国指定から解除するという。
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米大統領選 ヒラリー・クリントンの挑戦続く
【オリジナル記事 2008年6月15日掲載】
ヒラリー・クリントンと夫ビルは第二次大戦直後に生まれたベビー・ブーマー世代、その中の勝ち組である。2人ともハイスクール時代から政治体験を重ね、大統領の座を夢見ていた。ビルは野心を達成したが、ヒラリーは今回頓挫した。だが、諦めたわけではない。
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6カ国協議 北朝鮮が核保有容認を要求
【オリジナル記事 2008年6月8日掲載】
北朝鮮が核保有容認の要求を表面に出した。廃棄はプルトニウム核施設に限り、核兵器と核分裂物質は含まないという。ブッシュ政権は最近、核施設を無能力化し、核分裂物質のこれ以上の生産を阻止することに交渉の重点を置いていた。北朝鮮はこれを受け容れるが、核兵器は廃棄せず保有を続けるというのだ。
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米大統領戦 マケイン候補の不安
【オリジナル記事 2008年6月1日掲載】
ブッシュ大統領の支持率は近年の大統領中の最低水準に下落した。共和党の支持率も過去15年来の最低で、民主党が大きくリードしている。共和党マケイン候補には厳しい逆風である。このほか、同候補には高齢という問題もある。
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米大統領選挙 オバマ候補の不安
【オリジナル記事 2008年5月25日掲載】
民主党オバマ候補が党大統領候補として共和党マケイン候補と対決することが確実になった。黒人が米建国以来続いてきた白人大統領の座に初めて挑戦する。違和感を持つ向きもあり、選挙戦が厳しいものになるのは間違いない。
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穀物価格高騰の不安
【オリジナル記事 2008年5月18日掲載】
穀物の国際価格が短期間に急騰、不満が世界に広がっている。アフリカでは各地で暴動が頻発、米国でもスーパーがコメの買いだめを防ぐため販売量を制限した。国連の調査では、供給は増えているが、需要も増えて在庫が逼迫。バイオ燃料への転用、投資ファンドの投機も高騰に一役買っている。
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米大統領選挙 決着の行方
【オリジナル記事 2008年5月11日掲載】
オバマ候補が民主党の党候補指名を獲得することが確実になった。2大政党初の黒人大統領候補か、初の女性候補かの先陣争いに決着がつく。だが、クリントン候補は敗北を認めない。党内の撤退要求と資金不足にも拘わらず、最後の予備選挙まで私費を投じて戦い続けるという。彼女のねらいは何か。
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6ヶ国協議 行方混沌
【オリジナル記事 2008年5月6日掲載】
ブッシュ政権が「北朝鮮とシリアの核開発協力の証拠」を公開した。事実とすれば、北朝鮮は核放棄を約束しながら、核技術の海外移転を謀ったことになる。同政権が6カ国協議の成果を覆しかねない、このような証拠を今になって公開したのは何故か。
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米大統領選挙戦 クリントン候補ねばる
【オリジナル記事 2008年4月27日掲載】
クリントン候補がペンシルベニア予備選挙で予想以上の支持を集めて勝った。選挙資金はオバマ候補の4分の1、借金1,000万ドル余を抱えての勝利だった。残る予備選挙はノースカロライナ州など7州と自治領プエルトリコ。クリントン候補が逆転勝利する可能性はまずないのだが、それでも撤退しないのは何故か。(記事全文⇒)
イラク戦争 主敵はイラン
【オリジナル記事 2008年4月20日掲載】
開戦以来5年、米軍の主要作戦目標がイランの活動阻止になった。イラン特殊部隊がイラクのシーア派民兵組織に武器を供給、兵士の訓練をしているという。3月から南部バスラとバグダッドで続いた戦闘は、この両者の緊密な関係を浮き彫りにした。ホメイニ革命以来の米・イランの確執がイラクにも波及した。(記事全文⇒)
6ヶ国協議 ブッシュ政権の焦り
【オリジナル記事 2008年4月13日掲載】
ブッシュ大統領の任期が残すところ10ヶ月を切った。核問題を解決して同大統領の外交実績とするには十分な時間とは言えない。8日の米朝シンガポール会談では、功を焦るブッシュ政権が北朝鮮に大幅な譲歩をしたことが明らかとなった。(記事全文⇒)
米大統領選挙 一匹狼マケイン候補の政策
【オリジナル記事 2008年4月6日掲載】
マケイン候補が予想どおりブッシュ離れの方針を明確にした。外交政策では、単独行動主義の放棄、同盟国との協調、グアンタナモ収容所の閉鎖、地球温暖化防止などだ。だが、ブッシュ政権を支えてきた共和党内の保守派が予想どおりこれに反発。保守派がマケイン候補で一本化するのは難しい状況だ。(記事全文⇒)
米大統領選挙 崖っ縁のクリントン
【オリジナル記事 2008年3月30日掲載】
問われる地球温暖化対策
【オリジナル記事 2008年3月23日掲載】
6ヶ国協議 成否の岐路
【オリジナル記事 2008年3月16日掲載】
米大統領選挙 決め手はカネかスキャンダルか
【オリジナル記事 2008年3月9日掲載】
パキスタンの不安
【オリジナル記事 2008年3月2日掲載】
米大統領選挙 流れはオバマ
【オリジナル記事 2008年2月24日掲載】
韓国新政権の課題
【オリジナル記事 2008年2月17日掲載】
米大統領選挙 共和党マケイン候補の可能性
【オリジナル記事 2008年2月3日掲載】
地球温暖化が突きつける課題
【オリジナル記事 2008年1月27日掲載】
パキスタンの危機
【オリジナル記事 2008年1月20日掲載】
米大統領選挙 序盤を読む
【オリジナル記事 2008年1月13日掲載】
北朝鮮の核放棄の意思に疑問深まる
【オリジナル記事 2008年1月6日掲載】
2008年掲載記事
2007年掲載記事
2006年掲載記事
2005年掲載記事
2004年掲載記事
2003年掲載記事
2002年掲載記事
記者時代の取材秘話
1.南ベトナム臨時革命政府樹立宣言のまぼろし
【日本記者クラブ会報382号 2001年12月寄稿】
1969年6月9日、私が帰国準備をしていた頃だ。夕方、解放戦線の地下放送を聞いていたNHKベトナム支局員のフン君が叫んだ。「ベトコンが臨時政府を樹立した」。大ニュースだった。戦闘集団の解放戦線(ベトコン)が政府に脱皮するというのだ。ベトナム戦争の転機になる。・・・(続く⇒)
2.金大中氏の政治裁判の頃
【オリジナル記事 2002年7月23日掲載】
1975年12月12日、日本大使館で大使とソウル特派員の懇談会があった。翌日は金大中氏に選挙違反事件の判決が言い渡される。特派員の関心は日本の対応についてだった。だが、大使は質問を巧みにかわし、核心に触れない。最後に「俺はあすゴルフに行く」と言い残して部屋を出た。判決で金大中氏が有罪になれば、同氏は来日できず、日本政府が主張する拉致事件の原状回復は遠のく。その判決の日、大使がゴルフとは。私は東京あてに「日本大使館の幹部はゴルフに行くと言っている」とボイスレポートを送った。(記事全文⇒)
3.スカルノ大統領失脚の時
【オリジナル記事 2002年8月28日掲載】
1967年2月22日夜、スハルト閣僚会議議長が閣議の部屋に記者団を招き入れた。まもなく、ジア情報相が駆け込むように入って来た。そして、一枚の厚い紙を高々と掲げる。「スカルノはインドネシアの大統領、及び国軍最高司令官の全権限をスハルト将軍に委譲する」という大統領声明だった。日付は2日前の2月20日。その下にスカルノの太いサイン。だが、インクがまだ濡れていて、直前に署名したことが明らかだった。インドネシアが独立の英雄スカルノからスハルトの時代に変わった瞬間だった。
数日後、NHK外信部から「東京に滞在中のデヴィ夫人が女児を出産した」という情報が届いた。これを大統領官邸の秘書に伝えると、折り返し大統領が大変喜び、名前を考えたので伝えて欲しいという返事が返ってきた。全権委譲のあと、大統領が外国との連絡を絶たれたことを示していた。(記事全文⇒)
4.金日成主席の謝罪
【オリジナル記事 2002年9月20日掲載】
朝鮮問題の権威あるジャーナリスト、ドン・オーバードーファー氏が1997年の著書「The Two Koreas」で、金日成主席の謝罪の話を紹介している。1972年5月、韓国の李厚洛中央情報部長が初めてピョンヤンを訪問して同主席(当時は首相、労働党総書記)と会談した時のこと。主席が「朴正熙大統領にすまないことをした」と謝罪したという。17年後オーバードーファー氏はこの話を李部長の元補佐官から聞いて、著書に取り入れた。私も会談の1年後、この話を韓国政府高官から聞いた。その骨子は、先日の日朝首脳会談で表明された金正日総書記の謝罪とまったくと言ってよいほど似ている。(記事全文⇒)
講演の記録
2005年8月 日本政治を漱石の視点からみれば
2004年8月 世界と日本、憲法論議と夏目漱石の日本開花論
2003年12月 北朝鮮の核危機と東アジアの安全保障
2003年8月 北朝鮮の核開発と日本の安全保障
2003年7月 ブッシュ政権を支えるネオ・コン人脈の系譜
2003年4月 国際化時代の日本経済
2002年10月 日朝国交正常化の条件
2002年8月 今の日本を考える
2002年5月 国際政治と経済
2002年4月 アメリカの安全保障戦略と日本の対応
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